東北太平洋沖地震で亡くなられた方、被害にあわれた方、いまも被災地で避難生活をおくられている方のことを考えて、しばらくブログの掲載を控えていましたが、いつまでも黙っていても仕方ありません。
徐々にブログの更新も、元に戻していきたいと思います。
2011年3月11日の地震が発生した14時46分頃、私は勤務先の都内のオフィスで打ち合わせをしていました。
ビルの8階にあるオフィスの窓からは、それほど眺めはよくありませんが、都内の様子が伺えました。
地震の発生により、最初はそれほど揺れも大きくなく、打ち合わせのメンバーとも、「震度3くらいきたかな?」とか話をしながら打ち合わせを続けていました。
しかし、これまで経験したことがある地震では、揺れは数秒でおさまるのですが、この日の地震はなかなかおさまりません。
むしろ、揺れがどんどん大きくなり、いつまでたってもおさまる気配がありませんでした。
「これは震度4以上はきているなぁ?」などと話しながら、窓際の打ち合わせ卓からビルの中央方面に退避しました。
中には、机の下に潜っている人もいました。
オフィスのあるビルは、比較的新しく建てられたビルだったので制震構造になっているらしく、他のビルに比べて揺れは抑えられていたと思います。
それでも立って歩くのがやっとのくらい、揺れが続きました。
外を見ると、目の前に8階建てくらいのビルが建っていました。
ちょうど目の高さが、目の前のビルの屋上付近で、屋上の上には避雷針が立っています。
この向いのビルの屋上の避雷針が、大きくしなりながら5~6mは左右に揺れています。
その下のビルの屋上部分も、大きく左右に2~3mは揺れていました。
揺れがおさまった後も、余震は続きました。
落ち着いたころ、自宅の様子が気になったので、携帯で電話をしましたがつながりません。
携帯のメールは、最初は送信エラーになってしまい遅れませんでしたが、何回か送信しているうちに送れました。
しかし、携帯メールの受信はできない状況です。
幸い、会社のメールは送受信できていましたので、会社のメールから自宅にメールを送り、返事がきて家族の無事を確認するまでは、落ち着きませんでした。
その後、ずっと余震が続いていましたので、仕事が手につく状況ではありませんでした。
夕方くらいになって、ワンセグや会社内のテレビで放送されはじめた東北地方の災害の状況を目にしたときには、これが、ほんの数百キロ先で起こっている状況だとはとても信じられませんでした。
一緒に打ち合わせをしていたメンバーの中には、実家が岩手にあり、海から数百メートルくらいのところに家があるというのですが、連絡が取れずに困惑をしている人もいました。
(幸い、後日、連絡が取れて、家族も家も無事とのことでした。)
地震の影響で交通機関はすべて止まってしまっていましたので、家に帰れない人も多い状況でした。
私も交通機関では帰宅できません。
Googleで調べると、会社から千葉の家までは、徒歩で約33キロほどの距離で、6時間半くらいで帰り着くと表示されました。
会社に泊まろうかとも悩みましたが、家族や家のことも心配でしたので、夜の8時くらいに、徒歩で自宅に帰ることにしました。
街中は、同じように徒歩で帰る方で溢れかえっています。
途中によったコンビニはおにぎりなど、すぐに食べられる食材はすべて売り切れ。
スーパーマーケットは、レジの会計待ちが1時間以上というところもありました。
幸い、帰路では大きな停電はなかったので、自動販売機で水やジュースは問題なく購入することができました。
歩きはじめて4時間くらいまでは、軽快に歩いて帰りました。
途中に、大きなスーパーマーケットがあったので、軽く夕食をとろうと思ったのですが、ここもすぐに食べられるパンやおにぎりなどの食材はすべて売り切れです。
わずかに残っていた、エネルギー補給用のゼリーやデザートのケーキ、ゆで卵等を買って、休憩しながら食べました。
歩きはじめて5時間くらい経つと、足に違和感を感じはじめました。
革靴で歩き続けたことがいけないのでしょう。
左足の甲の部分が痛くて普通に歩けなくなってきました。
途中、休憩したスーパーマーケットで、スニーカーを買えばよかったのですが、靴売り場は閉まっていました。
被災時に、長時間歩いて帰らなければいけない状況になった場合は、革靴ではダメですね。
とにかくスニーカーなど、歩きやすい靴を調達することが重要です。
都内から千葉方面を目指す場合、隅田川、荒川、江戸川と大きな川が3本流れています。
さらに、これらの川の支流や港湾部等も含めると、渡らなければいけない橋はかなりの数になります。
都心を直撃するような地震があった場合、これらの橋が被害をうける可能性は高く、そうなると、都内から千葉方面への帰宅は絶望的だと実感しました。
(写真は、荒川あたりを渡っているときのものです。大勢の方が歩いています。)
歩きはじめて6時間を過ぎると、痛む左足の甲の部分をかばって歩いていたせいか、左足の付け根に痛みが走りはじめます。
こうなってしまうと、もう会社を出発したときのようなスピードでは歩けません。
休憩を多くとり、足腰のストレッチをしながら、足をひきづるように歩いて行きました。
途中、一部停電している街が何箇所かありました。
車が行き交う大きな交差点で停電していると、とても危険です。
帰宅時に会社から渡された手回し式の非常用LEDライトで自分の居場所を示しながら交差点を横断しました。
流動化の後なのか、砂が山のように貯まって、水たまりになっているところもありました。
地面が陥没して、大きな穴が開いているところもありました。
あらためて、地震による被害の大きさを実感しました。
そして家にたどり着いたのは、明け方の4時前です。
会社を出てから、実に約8時間もかかってしまいました。
今回、帰宅難民として、実際に30キロ以上を歩いて帰ってみて、自分自身への教訓として感じたのは、以下の点です。
- 革靴で普通に帰れるのは15キロくらいまで。それ以上、歩いて帰る場合はスニーカー等の歩きやすい靴の調達が必須(もちろん、女性の場合はハイヒールで歩いて帰ろうという人はいませんよね?)
- 一般的には80mを徒歩約1分の距離として計算するが、15キロを超えて歩く必要がある場合は、この速度ではムリ。休憩や体力消耗も踏まえて、時間に十分な余裕を見ておく
- 停電していなければ水等の水分の補給は比較的容易(自動販売機で買える)。何本も持って歩くと体力を消耗するだけ
- マスクがあると便利。液状化現象等で砂が路面に吹き出し、乾いた後に車が走ると、巻き上がる粉塵の量が尋常ではない
- 手巻充電式のライト(ラジオも付いていた)は、何かと便利(ただし、2~3分手回しで充電しても、ライト点灯は1分と持たない。それに、バッテリの貯め置きができない;電源を切っていてもすぐに放電されてしまう)
- 幸いスマートフォンのネットアクセスができたので、自分が歩いている場所を確認するためにGoogleマップは助かりました
- 冬は、特に明け方、気温がかなり下がるので、十分な防寒が必要
- お金に余裕があり、店も開いていれば、自転車を購入してしまうという方法もあり
以上から、帰宅難民として、徒歩で帰宅する場合には、以下の準備が必要だと思います。
- スニーカー等、足の負担が少ない歩きやすい靴 【必須】
- 500ml以下のペットボトル等の水1本 【必須】
- 地図(電波が届けばスマートフォン等で代用可。ただしこの場合は、事前にフル充電にしておく) 【必須】
- 空腹を補うクッキー等を少量。ストレス緩和と糖分補給用のガム・キャンディ等を少量 【必須】
- 防塵、および、防寒用のマスク 【できれば】
- 雨がっぱ(雨露をしのげるのと、防寒具にも代用できる) 【あれば】
- 手巻充電式のライト 【あれば】
こんなことが二度と必要にならないことを願います。
LFL
↓元気の元になりますので、ポチッとお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿